『海辺へ行く道』(2025)について
ネタバレを含みます。
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個人的に今年のベスト3には入りそうな傑作と感じた、マジックリアリアズムがどれだけ大衆受けするかは分からないけどと思いつつ
鑑賞後はかなり傑作短編集を読んだ時の少し置き去りにされたが行われていることに感動したという感覚だったし、はっきりとしたことは言えないがビームコミックスの質感が結構再現されていたような
ミメーシスによる幻想がおばあちゃんに死をもたらしたとしてそれが幸福だったかは最早誰にも決められず、認知症患者たちに好意的に受け入れられているケアマネージャーの虐待、海から出てきて海へ帰っていく男の生業を誰も追及はしないこと、不条理や不調和と想像力が交差してそこに特に結果はない、モヤと、それでも生き続ける人々の生活だけがある
もやもやを残してリアリティラインも曖昧にして観客に別に寄り添わないという態度はある意味透徹しているが、それでも鑑賞後に何か癒された気持ちになるのはそういうものを求めているからでもあり、映画の中のユーモアのおかげでもあり、何より画面内が海の光に満ち溢れていたから
奏介がテレビニュースで流されるテルオ・立花との合作への評価を聞かないこと、A氏からもおばからも貰った紙幣をくしゃくしゃのまま画材に放り込んでいること、海辺で自室で画集に耽溺するそういう仕草でアートワールドにまとわりつく評価とカネと成功の呪縛を軽やかに振り切っているのが個人的には一番のセラピーだったな
あと海から出てきて海に帰る何をしてるのかわからない男のシーンが本当に好き ほんとうこの島で普通に、まあ普通とは言わずとも少なくともビーチパラソルの総菜屋と中学生たちは気味悪がらないこと、ほんとの多様性ってこれなんで これこそが物語の中にしか存在しない現実だよ~~フィクションありがとう~~の気持ち
『国宝』(2025)について
原作は未読、映画についてのみの感想です。ネタバレを含みます。
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〇良かった点
・とにかく俳優陣の演技は手放しで称賛できるものばかりだったと思う 挙げていけばキリがないが、寺島しのぶの抑圧された梨園の妻、渡辺謙の血反吐と執着、吉沢亮の現世と極みの世界を揺れ動く目、横浜流星の海のような激しさとおおらかさ、田中泯の目力と身体感覚、芹澤興人の安心感
・誰もが完璧に厚みのある、映画らしい最高の演技をしていたと思う 絶賛です
・BGMをオーバーラップさせたりエフェクトを使ったり「していない」部分の歌舞伎演出に関しては、完全な素人が見て素晴らしいな、歌舞伎行ってみたいなと思わせる迫力というか引きがあった 確かに伝統芸能への入り口として機能する側面を持つ映画になっていた
・コップで血を飲みたい、と呆然と呟く声と、手ずから化粧を施した彼がどうしようもなく手の届かない極みにあると思い知らされる一連のシークエンスは台詞も演技もつなぎもロマンチックで撮りたいように撮れてる感じもあってワクワクした 曽根崎心中と春江、俊介の逃避行がオーバーラップするのはややクサかったが
・最終盤、インタビュー時の喜久雄の特殊メイクも結構衝撃的に良かった、女形として歳を重ねて芸の向こう側へ至ってしまった人間の容姿が一見して感じられるようなスタイリングとメイクで
・あと完全に個人的な好みの問題だが、喜久雄俊介の一回目の二人道成寺と、喜久雄の最後の鷺娘の時の舞台へ至るまでの道中の対比がかなり核心に迫っていて巧みだったと感じた
・最初の二人は「きれいや……」と裏方?から感嘆の声を引き出すような完成された美を纏っていたが、至った喜久雄の舞台道中では誰もが黙してその姿を目に焼き付けることもなく唯々頭を下げていく これは喜久雄の立場の変化というだけでなく、芸の極みとは仕草や容姿の美やリアリティではなく、見た人がただただ打ちのめされ、礼をし、拝み、涙するそういうものだ、という描写とも受け取れた
・音楽も素晴らしくて、舞台に没入した時の演者側、そして観客側の酩酊感や心臓を掴んで離されない高揚、そして万雷の拍手で耳が閉ざされるような感覚を再現しているようで
・全体的にこういう素材部分は百点満点だと感じていて、それだけに加工部分である演出やコアである話の展開がダサくて最終評価は低いです、という話を下でします
〇悪かった点
・悪かったというより、とにかく上で褒めたように素晴らしい素材とそれを素晴らしいまま写す力があったはずなのになんで一々ダサいんだ……というショックと言う方が正確 期待があるだけ裏切られた感じが強い
・一部演出のチープさ、中盤から終盤にかけての翻案の拙さ
・歌舞伎シーンの所々で音楽をオーバーラップさせるのはまだギリギリ耐えたけど、田中泯の鷺娘にエフェクトをかけたのは流石に頭抱えた 人間離れしている、化物だ、って思わせる演技ができるからこそのキャスティングなんだから、そんなチープなエフェクト使わずとも凄みが伝わるように撮影するのが映画の矜持だろ……
・喜久雄の脳裏に度々ひらめく「探し求めている景色」がチープなCGすぎる、薄闇の背景に紙吹雪を舞わせるその景色に説得力がないと無意味なのになんであそこだけ急に偽物みたいな合成映像になるんだ……あとこれに関連してラストシーンの光の粒に包まれて一言呟く、極みに至った喜久雄という表現も薄っぺらくて興ざめしてしまった
・世間で絶賛されている「美しい」みたいな評価は歌舞伎という題材そのもの、もしくは俳優の演技の凄みが生み出しているものであって、構図や色彩感覚、ショットの技巧によるものではなかったな全然 中盤?喜久雄がホテルの屋上で踊るシーンとか撮り方と演技の方向性がありきたりすぎてJOKERの良くない焼き直しみたいに見えた
・このシーンに関しては他にも言及が多い気がするが、やっぱり衣装と化粧をあんな風には扱わないだろうし、このシーンと演出をここで挿みこむのカッコ良いでしょう!という作り手のエゴが丸見えでやっぱりもっとうまく撮れたろうと思う、特に原作にああいうシーンがそもそもあるなら尚更
・ここからは原作が未読なので対象が不明瞭な批判になるけど、話の展開がベタすぎて別に面白くはなかったな……と同時に中盤以降は目に見えて翻案が拙くなったように思う 万菊の死から最終シーンまで、全ての事柄がぶつ切りで関係性表象も取り出し方が一面的すぎて、出だしから中盤までは流れに違和感を抱かなかっただけに完全に失速した感覚
・曽根崎心中の舞台上で(もしくは舞台直後?原作未読)で俊介を死なせるのはありきたりすぎて恥ずかしくないか?!と思ったがここまでくると個人の好みの問題ですね
・あと「さらば、わが愛/覇王別姫」と比較される件に関しては、そもそも社会も政治も歌舞伎と言う芸能の伝統的男尊女卑や権力勾配の悪さも批判する気がなさそうな映画だったので土俵が違う
・所々に出てきた女性たちの言葉の上での反抗や喜久雄から去っていく描写、そして最後の娘さんが吐き捨てる台詞などが男尊女卑批判になってると思うんだったら批判として完全に不足している
・結局この映画の描き方では彼女たちは反抗など何一つ為せていないし、そもそもそういう抵抗力のある主体としてではなく、完全に歌舞伎の舞台に上がれる者たちを演出するための舞台装置としてしか扱われていなかったので
・まあでもそこ(女性表象、歌舞伎という伝統芸能に対する真っ向からの批判性)は邦画に期待してないので最初から諦めて観れたなという感じ 問題があると声を上げることは重要だからこういう切り口からの批判がもっと現れるべきだとは思うが
・総合的に考えて出来が良いとは言えないはずだと思うが、演技の凄みと題材のマジックでこれだけのパワーをもって興行収入を伸ばしているのだろうと思う 一面的な称賛だけでなく断片的でもいいから批判をあげる人が増えることを願う
羅小黒戦記 ぼくが選ぶ未来(2019)について
ネタバレを含みます。
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アニメーションもディテールも確かに素晴らしい、名前を知れないキャラクターもその世界に生きていることは何よりも嬉しいけれど(関西弁の虎さんとか良かったですね)
抑圧の上に成立している社会を維持していきましょう!暴力に訴えるマイノリティは同族の側から処罰しましょう!マジョリティのあなたがたに迷惑はおかけしませんよ!はダメだろ それこそマジョリティが自分の社会を維持するために使ってきた多文化共生論法すぎる それを今の時代、よりによってアニメーションでやるのはナンセンスだよ
そこを想像力で補完、変革するのが映画の、アニメーションの役割なんじゃないですか?一見して明らかに万人にウケる可愛らしいイメージを作り出し、それを巧みに動かす技術がある以上、映画であからさまに示した体制擁護がエンタメとしてするっと消費されていくことにアニメーションこそ責任を持つべきなのでは?
風息の散り際には確かにゲリラ・ガーデニングに重なるアナーキズムが薄らあるかもしれないが、それも作中でちゃんと回収されたように人間の世界の風景の一部になることでしかない、彼はただもう疲れて生を諦めてしまっただけなので
いや本当にキャラクターも世界観もそれを表現する技術も素晴らしかっただけにストーリーにめちゃくちゃキレてる まあ勝手な期待を寄せすぎたかな、アニメ映画に
観た人はもっとちゃんと怒ってくれよ、と思いながら日本語版EDの歌詞もしんどくてあぁ〜〜になった もっと師匠と小黒をニコニコ楽しく観てたかったな……
最近見た映画について(2024年6月~8月)
短文の感想です。感想残したくなるような映画を3本しか観てない……。
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『マッドマックス 怒りのデスロード』(2015)
イモータン・ジョーがいつも通りの単なる家父長制ではなくて、明らかに弱い(弱っている?)男、環境か交配のせいで遺伝子疾患を持っている男、がそれでも資源の占有と洗脳によって支配者になっています、というのが違う味わいでかなり良かった。弱さゆえに支配が悪辣になるのも、悪人ってのは最初から強いやつではなく、弱さを攻撃性に変えたやつらなんですよという誰かの言葉を思い出す。
でもフュリオサが辿り着いたところに何もなかったから最初からやり直そうぜ。っていうのは希望じゃなくてそれしか選択肢がない絶望だったとは思ったな~あそこで担がれることも彼女は恐らく全く望んでおらず、英雄になった彼女から恐らく寄り添えたであろうマックスも去ったし。ただここから未来の話をしようとするとフュリオサが責任でねじ曲がった話をすることになり、それはプロモーション的に良くないよねとも……難しいね。
『シャッターアイランド』(2010)
ちょっと音楽がやかましいぞ?!と思ってたが、トラウマシーンの紙が舞う美しさ、収容所の死体を横スクロールする画面の静止と動態のバランス、やっぱり映画映画してて最高だった。スコセッシは本当に絶望するレオ様を撮るのが上手いな……何もしなくても真っ青な瞳が、光が入らなくなることでどんどん昏く澱んでいく美しさ~。あとは焚き火をむかって向かい合う二人の男と女の髪色と目の色がほとんど揃うように計算されてたとことか?とにかく技巧的な部分に感動しながら観た。
『ファニーゲーム』(1997)
このオペラ遠景オープニングに何の意味が??と思ってたら激烈不快叫び声音楽でぶっ刺されて赤文字でデカデカとFUNNY GAME、ズルすぎたな~もう最高の幕開けでした。ユーネクの紹介に最初は礼儀正しい青年が豹変して~云々書かれてたけど全然登場の瞬間からずっと怖かったな、ペーター、空気を読めていないのと意図的なのとにラインを引けないからずっと怖い。
開かれた玄関口、陽光の下でにこやかにドライに尋問と暴力がはじまるの、かなり大好きな緊張感だった、もうこの時点で興奮しすぎてメロメロだったな……。ストリップもマジで贅肉がないかどうかを確認したいだけで、それ以上の性的な含みとか全くないのがああ俺たちと全く違う論理で動かれているんですねという絶望を増す、いやずっと凄い、恐怖と胸糞の悪さのためにできることが全部考えられてよく練られてるな~。
明らかに画面の向こうの自分達に語り掛け、目が合い、犯人たちの共犯者に仕立て上げられる不快さ、本当に最低の気持ちにしてくれるところが最高で大興奮し続けていた。撃ち殺すところを見せてくれないのも、そこだけ隠すことで暴力を楽しむこと自体に皮肉で冷静な目をむけつつ映画で起きることはあなたたちが望むことなんですよというからかいもやめない、ファニーさ……。両親の絶望の姿だけやたらと長回しだったのもここを直視させないと胸糞さが下がるから本当に、ずっと上手かったな。
画面の美しさがずっとあるのはノッキンオンとかといっしょで、あまりナショナリズムに振りたくはないが、やっぱフランスやら韓国やらの美しさとはまた違うものがある気がするんだよな、ドイツ映画の画面の美しさ。今回は第四の壁超えショットが多かったのもあるかもだが、視覚だけじゃなくて論理や脳みそを働かせないと理解できない美しさみたいなのがありそう……?とにかく全ての要素が良かった、ハネケ作品他にも観ような~。
『ラストマイル』(2024)について
ネタバレを含みます。
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◯物語
そんなに量を見ているわけではないが、少なくともアンナチュラルとMIU404において野木脚本の面白さは社会への怒りを根底とした突きつけと、伏線回収やキャラの関係性といったエンタメ部分のバランス感覚だった。今回の映画はこれの極致という感じがして、まず伏線が分かりやすいものから何度も見ないと分からなそうなものまでバラエティがあって、そのまくり方も全て予想通りではないからあらゆる層の鑑賞者が楽しめそうなとこにおっきなポピュラーさがあるんですよね……。シェアドユニバース映画として各キャラクターが体現する文脈がそれぞれの作品を凝縮したものであったのも上手いし。それはそれとして一つの社会問題に炸裂している怒りをかなり分かりやすい台詞で伝える(エレナの「マジックワード」周りとか)のは普段だとちょっと安直に感じて好まないが、野木脚本のポピュラーさにはなじんでるから全然許容できるなと思いつつ本当に128分ずっと感心し続けていた。上手いよ……。
◯シェアドユニバース
シェアドユニバースの話じゃないけどそもそも巨大配達網の中に爆弾が紛れ込みましたというかなりチャレンジングな設定自体が面白いのでこの時点で面白さは確定してたんだな~を今更。勝俣くんと白井くんでMIUの「かけ違えによって変わるもの」とアンナチュラルの「殺すな、生き続けろ」を直接展開しつつ、何もしなかった五十嵐や飛び降りて結果的に植物状態になった山崎、自罰としての死を選んだ筧で反転させてくる構成、上手いな~。それぞれの勢力が自分の仕事をきちんとしつつ、ドラマのテーマも体現しつつで素晴らしかったのはそうなんだけど、アンナチュラル組がかなり少ない出番の中で中堂系と三澄ミコトにあのやり取りをさせたのは特にくるものがあった、この一つのやりとりにドラマ大半を収束させている腕前……。例によって人の才能に感動している時が一番楽しいので技巧的な側面ばかり気がついている。
◯山崎佑
あと青池透子が好きなので、人生全部うまくいかなくてくだらなくても、最後のひとまくりをやるその、命の煌めき、絶対に消費してはいけないもの、それが彼の飛び降りで、体重でベルトコンベアを止めるという行為だったの、思いついた時どんだけ嬉しかったんだろうな。もう完全に頭から離れなくなり、このシーンをもう一度見るために2マイル目を行おうとしている。
飛び降りる時に十二か条が鮮明に見えて、それを確認して頷いたか笑ったか(忘れた)して飛び降りるのが一番エグかった。「落ちる」行為って一番間に合う/間に合わないを象徴するものだと思うが、間に合った二つのドラマの続きに間に合わなかったところから始まる物語をぶつけてきたのか……。
◯エンディング
五十嵐がちゃんと上からの景色を確認しにきたこと、孔がロッカーを見て、浅い息になること、これからも巨大な機構の中で何もできずに人は死んでいく、たとえドライバーが誕生日プレゼントを届けるみたいな奇跡が起きても、彼らもずっと使い潰され、それでも私たちは日常を暗澹と過ごす中の一筋の光をたまに思い出して這いつくばって生き延びる、いつも通りの透徹した希望だった。
続いていく日常は万人にとって痛みがある一方で、そこから一時的に離れて安眠できるようになったエレナも、不眠と爆弾を継承したように見える孔も、生活や信念がかかっているから理不尽の歯車にならざるを得なかった八木や五十嵐もいて、きれいごともあるけどそれだけじゃ終わらんぜ、と言ってくれることは何よりも嬉しかった。メッセージを受け取り、次に鑑賞者が何をするのか、透徹した目に見据えられているねと思いつつ二回目を必ず見に行こうと思いました。たくさんの人に見られると嬉しい作品だった。
『ガタカ』(1997)について
ネタバレを含みます。
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〇世界観
SF含むファンタジーは世界観で勝っていればそれでいいと思っているので、まあ素晴らしかった。当時の技術的に大部分がアナログで一々採血採尿が入り込んでくることでよりグロテスクな社会になってましたね……ディストピアを描くことによって現代社会のクソさを照らすのは常套手段とはいえ、「写真など誰も見やしない。」が象徴するように会社に溶け込んでいるヴィンセントと見た目の印象を誤魔化すことにも繋がってた分厚いメガネのくだりは痺れた。
〇画面、音楽、台詞
タバコの煙ワインに入れるシーン、車いすの青年と立ち上がれないまま身を投げ出している青年、海辺に佇むガラス張りのホテル、視覚的な喜びがちゃんとあって、音楽もかなり良くて、序盤で既に完璧な映画では?の予感があった。あと一々取り上げられないけど台詞回し、特にユージーンとヴィンセントの間の、信頼関係に裏付けられた皮肉でもあり、互いを傷つける事実でもあるみたいな言葉の応酬は素晴らしかった。
〇導線
「僕は誰の救いも必要としていない」で弟に対して感情が爆発し、アイリーンや検査技師、そしてユージーンの特大の善性に触れて宇宙へ旅立つヴィンセント、露悪的な社会において善性は輝くから感動するのは当たり前なんである種教科書的な進め方でもあるけど、まあチョロいので普通に感動した。100分の尺の中で同じ構図の変奏を前半と後半でしっかり決めてくるのも「映画あるあるだ~」と少し穿った見方をしてしまったが、ちゃんと鑑賞者の感情の導線をコントロールするのに成功してたので全然良かった。長いだけの映画は見習おうね……。
〇ユージーン
ユージーン、マジか……まあまあな放心状態になったが、すぐに二回目を見ることでそこまでの傷にはならなかった、よく考えてみると彼は生きることに登場時点から絶望し続けていたので帰結としても納得は一応できるし……。こいつの人生なんだったんですかだけど、他者からは認められ続けても自分では価値を感じることができなかった身体はヴィンセントに遺伝子を提供するという役割を得て、自分の名前はある程度後世に残る金メダル相当の栄誉を得た、それならもう良かったのかもしれない。まあ必ずしも生きることが希望ではないので、死だけが彼に残された自由だった側面はある。
あの境遇に対して怒りを燃やし続けて、宇宙という夢を臆面なく話せる鷹揚さをもててたヴィンセント、諦めないことの素晴らしさみたいな文脈よりも、怒りと執念は何かを変革しうる希望だったし、ユージーンもまあ世界と自分の遺伝子には怒ってただろうからそこで連帯できたのかなと想像した。ラストのロケットの炎は地球にいるユージーンの身体と遺伝子を焼き尽くす炎だったのとか、上手すぎだったな~感心の後に感動も伴う、良い映画だった。
『DOGMAN ドッグマン』(2023)について
ネタバレを含みます。
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台詞も画面の構図もつまらないな……だったのは最近観てた映画のせいでサスペンス脳になってたのが半分だと思うが、本当に陳腐だったのでは?も半分ある
働き口をみつけた最初のショーの場面でオーナーが涙ぐむほどの感動を全く覚えられず、そこで輝きがないんだったら、主人公のそこまでの演劇やら装いやらの説明全然無駄じゃねぇか、でがっかりもした 依頼されてギャングを脅迫したのもダークヒーロー行為じゃなくて普通にそれまで依頼主から受けた恩恵が下敷きになっていたのでは?だし、ギャングから報復されるのもそこまでのドッグマンの穴はあるけど残忍な魅力がダメになってた気が このギャングからの報復に関しては約束は守れよ!と叫んでいたので子供のまま大人になってしまったね、で解決できると言えばそう
犬たちは本当に強くて賢くて可愛くて最高だったし、結局唯一、犬は人間のもつ美徳を全部もってる……て台詞を実現したい映画だったのかも だとしたらそれ以外の要素に中途半端に手を出してあんま成功してないって風に見えてしまった 暴力も、犬がギャングを陥れたり主人を守るために食人したりするのは爽快だが、やるならもっとふりきってもらった方が良かったし……
あとここらへんは詳しくないのでよく分からないが、犬に演技させるのってそもそもどうなの?みたいな話ってあるのだろうか 落下の解剖学とかも犬大活躍らしく気になる もちろん素晴らしい待遇をうけたお犬さんたちだし、映画本編も酷い目に遭ったりしていなくてホッとしたが それはそれとして犬の忠誠心と刷り込みと自由意志みたいなのもぼやかしてたのはあんま評価できない理由の一つか? これは自分が犬と暮らす人間というものに対して全然解像度高くないので何も言えない