巨大な水

通り過ぎるものすべて

『はちどり』(2018)について

これもアマプラでの配信終了が近かったので滑り込みで見た。そういうモチベーションでしか映画を見ることができていない(ネトフリも4月中に終わるが二つ見たい映画を積み残している)。
ネタバレを含みます。

 

 

 

 

 

ーーーーーーーーーー


〇「皆は私たちに謝るかな?」
……。自分がずっと思っていたことに近いものを言われたセリフで、こんな雷に打たれたみたいな出会いが本当にあるんだ、と思いながら、これはかなり序盤のセリフなんだけど絶対に良い映画であることを確信した。

 

兄に暴力をふるわれている同士のウニと親友、ウニが死んでやろうかと思う。と言ったときに、でも私たちが死んだあと、で親友が言うセリフ。そうだよな~誰も私たちに謝ってくれないし、謝ってくれないかもしれないんだよな……。でもお前らは謝るべきだろうという怒りで自分は生きてきたんだなと言う風に、まあまとめたらそこからはみ出るものがあるんだけど、ふわっと自分のことを言語化できたのが本当に、良い出会いだった。

 

誰も彼もが、時代と文化と経済と血筋が生み出す閉塞感に何となくとらわれていて、自分の行為に責任を持てずに傷つけあって、責任がないから誰も謝ってくれない。ウニももちろん他人を傷つけていて、かつ謝ってない(記憶違いかもしれない)、この映画に描かれる人間関係がずっと苦しいのは責任の不在のせいなのかなと考えたりした。

 

あとこれはキャロルと似てるが、ウニを取り巻く全ての位相が重なっているのがあまりにも圧倒的な手腕で、出来事が起こっていくたびにその上手さに感動していた。ジワンが突然現れた母親に引きずられて帰っていくのも、ウニが兄から暴力を振るわれてそれをまともにとりあってもらえないのも、同性とのロマンスも、姉の非行も、顔をゆがめてしまうかもしれないしこりも、もっと大きなシステムや社会や文化と呼ばれるものが原因である。そういうことは分かっていても、大きなものの変化は余りにも遅く、私たちの生活が損なわれていくのは余りにも速い。こういうこと宇佐見りんさんもどこかで書いていたな……。

 


〇家庭
メインテーマと言えるようなものが複数あるけど確実に主軸の一つだった。
壊れ切ったとまでは言えないけど、玄関のライトに照らされた時あんなに静かな絶望を浮かべないといけないような、そんな家庭から、ウニはまだ中学生だから抜け出すことができない。姉は夜な夜な抜け出して遊んでは父親の折檻を受ける。兄は学歴主義の厳しさにさらされながら妹に暴力をふるう。父親は明らかに自営業でギリギリの生活を養っているいわゆる「弱者男性」で、母親は兄の学費のせいで大学に行けなかった、賢さを持っていたかつては若かった女。それぞれがそれぞれに傷を与え合う事に理由はあるけど、でも許せないよねということも言いながら、そのギリギリを繋ぐ家族の絆というものも確かにある、というバランス感覚は本当に韓国映画っぽくて(イメージで言っている)、自分が韓国映画を見る理由だと改めて感じた。

 

父親も兄も泣き出すだろうな、というか弱者である面を出してくれるだろうなと予想していたので結局二人とも泣きだすシーンがあってまあそうなるよね……となった。男ですら厳しさにさらされた弱さを持っていて高圧的になる、暴力的になる理由はあり、家族のために嘆く程度の感情はある、まあそれはそれとしてお前らは謝るべきだけどな……。

 

涙はきっと中学生のウニにとっては少しだけ謝罪の代わりになったんだろうけど、大人になったウニはその時のことを思い出しても家族から離れる選択をしてくれよ……。

 


〇先生
ウニが兄に暴力をふるわれていると先生に打ち明けた時、先生の目に水の膜が張っていて、ウニの痛みを痛みとして理解できる人がいてくれるんだ……と同時に絶対に死ぬな……と思ったがまあダメでしたね……。

 

ウニがどんどん奪われながら、でもロマンスや親友との関係の中で笑顔をみせていて、笑いながらギリギリを生きてる、彼女はいつ死んでもおかしくないとドキドキしていたので、先生が死んでしまった時にああウニは生きていくしかなくなったなと思った。

 

「何もできないようでも、指だけは動かせる」を頼りに、こっからの人生もはちゃめちゃに辛くて、差別されて、搾取されて、抑圧されてても、きっと大人になって徐々に自由になって、生徒の前でタバコを吸う先生のような大人になっていけるんだろう。

 


〇親友
親友とウニが軽やかにトランポリンで跳躍するシーンは本当にめちゃくちゃ良くて、でも二人とも抜け出せないよね、じゃなくて今二人は空に向かって飛んでいて、それがこんなに楽しくて、こういうことをできるということ自体が大切なんだ、と。

 

二人は似たような痛みを抱えているけど、決して二人の痛みは同じものではないから、彼女たちはそれぞれに傷つけあうし、自分の傷は自分で抱えていくしかないけど、それはそれとして最後に仲直りできていて安堵した。カルリートスは撃ち殺してしまったからな……。

 


〇「私の人生も、いつか輝くでしょうか?」
さっき先走ってカルリートス(『永遠に僕のもの』)の話をしてしまったが、家で大音量で音楽流して、リビングをゆっくり一周して出鱈目なステップを踏むウニ、他人の家に入ってレコード流して中でダンスしてたカルリートスと同じで声が出た。まあ全然帰結は違うんだけど、こうやって踊るしかない若者という構図が同じで……。そうやってちゃんと飛び跳ねて、全部に起こって、ちゃんと表現して、それを誰も見てなくても、あなたの心も体もあなたのものでちゃんと動かせるのだとあなたが知っていればいいんだ。暴力をふるわれる体を取り戻すダンスでもあったのかな。

 

先生と出会ったウニは、他人にどうしても理解してもらえず、大事にもしてもらえない彼女の切実さの存在に気づいて、それを守るのは自分であるということにも、残念ながら先生の死で気づかざるをえなかったんだろうな。だから閉じ込められた部屋でヒステリック(こういう風に名指すしかない自分の語彙力にも怒りがある)に暴れられるようになるし、兄に殴られる時に言い返しせるし、自分の学校で近づいてきてくれる友だちが誰一人いなくても、あんなに穏やかな瞳で周りを見回すことができた。

 


ーーーーーーーーーー

 


開幕からずーっと、何となく何を描こうとしているか感じられて心臓をヒリつかせながら見ていたし、普通に泣いたし普通に辛かった。ウニの、ウニにしか分からない、でも気づいてもいない、ウニだけのものとしての彼女の切実さが傷つけられたり、包まれたり、やっと彼女が気付くような話に思えた。見終わった後もずっと何となく辛さが持続しているし、ウニのことを考えている。

 

ハッピーエンドとかではなく、ウニはきっと自殺せず、先生の後を追うような大人になっていけるんだろうなという希望だけが少し残る結末だったのが、とても良かった。