巨大な水

通り過ぎるものすべて

『岸辺露伴 ルーヴルへ行く』(2023)と『ウーマン・トーキング 私たちの選択』(2023)について

6月に見た二つの映画について。二つの映画を比較するとかではなく、それぞれの感想を書いています。
ネタバレを含みます。

 

 

 

 

 

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〇『岸辺露伴 ルーヴルへ行く』

NHKのドラマ版は毎年見ている。一応直前にアマプラで復習しようと思ってはいたがぐずぐずしている内に予約していた日が来てしまい、結局何の準備もせずに見に行った。
ただすぐに、ああこの物語、露伴先生が自業自得でえらい目にあうけど毎回何とかなる(何とかする)のを、露伴先生のクソガキっぷりと共に楽しんでたな~と思い出した。『ジョジョ』はアニメを何部かみただけで原作は未読だが、高橋露伴の表情、仕草、声色、全て「露伴先生」すぎて見るたびに感動する。生意気なのに未熟ではなく、大人げないのに大人なのだ。凄い。

なので露伴先生が燃える地下通路から這う這うの体で逃げだすシーンは静かに爆笑しながら楽しんだし、きちんと墓を見つけに行って種明かしがされるシーンは固唾をのんで見守った。色々な感情の揺れを経験しつつ、美しい画面も見られて総合的な体験としてめちゃくちゃ質が高かった。

画面はもう、もちろん、ルーブルなので……と当然綺麗だと想定していたが登場するキャラクターの皆さん特に木村文乃の大画面が予想以上に最高で毎回心の中で「うわっ!」と叫ぶことで本当に声が出ないように耐えていた。美しすぎる……。同じくNHKの『精霊の守り人』で二の妃を演じられていた時にもなんだこの薄幸そうなのに意志の強さもある美人は、となったが今回のキャスティングもぴったりで、ああ彼女の美しさを日本画の美人として解釈されたら勝てないよな、になった。光のない目と微笑みとにじみ出る優しさ、あやしいけど手を伸ばせば振りむいてくれてでも届かない、完全にひと夏の思い出の擬人化だった。いや、あまり書くと本当にキツい文章になってしまうのだが、ほんとに、回想シーンはほとんど木村さんに思いをはせていたくらい自分にヒットした。今後もお元気になさってください……。

画面や筋や登場人物のキャラ立ちは当然の要素として、ドラマの時もそうだが音楽が良いので映画館での大画面・大音量の鑑賞にたえたんだろうとも感じる。何が良かったとか具体的に書くことができないが、どのシーンにおいてもあ、この音楽が最適だよなと思わされたことを記憶しているので、二回目になるが総合的な体験として本当に質が高かった。

 

 

 

 

 

〇『ウーマン・トーキング 私たちの選択』

「デイドリーム・ビリーバー」が最初に流れてきたとき、多分これをもう一度流して映画をまとめるんだろうけどそれは明るい、あまりにも無責任な明るさなのでは?と思っていた。

最後までみて、これくらい底抜けの明るさを、彼女たちの希望として提示することに意味があるのかもしれないと思い直した。

彼女たちそれぞれの主張が、悲痛な顔、声、上手くコントロールできない身体と共に迫ってくる、どれもぶつかりあうが、そのどれも切実さが理解できるから簡単には、というか絶対に否定できず、でも恐らくそうした主張の根底にある痛みはみな共有していた。だから言葉を持たない彼女たちは、誰かが発作を起こしたらすぐに駆け寄るし、衝突のあとには歌をうたい、手をつなぎ、子どもに寄り添う。女たちの主張が切実なもの同士でぶつかっているのは現代の女たちを取り巻く状況を(間違った知識に基づいた論争は除外するとして)思わせたし、でも彼女たちのように身体で寄り添い合うのは今の時代には抱けない希望にも思えてしまった。いや、実践しようとすればできるのだろうけど。

これも原作は未読だが、上手いなと思ったのが主人公世代の母親世代(アガタ、グレタ)の納得の仕方で、暴力をふるう男たちを赦さずに逃げることこそが信仰と結びつくという主張を(確か)最終的には母親世代がして、彼女たちはキリスト教の信仰という自分達のフレームワークから離れずとも、その中で合理的な理由を用意して男の支配から脱却するんだ……というのがかなり衝撃的だった。オーナはあの中で恐らく一番そうした信仰、あの村で信じられていた赦しと男性への服従を自然なものと考えさせる信仰からは離れた考え方をしていて、正直それを使って話を進めるのかと思っていたので、世代ごとにもちろんお互い影響されつつも、新たなフレームワークを無理に取り入れずとも男性支配から抜けだせるということを示していたのは面白かった。

オーガストの行く末は中盤あたりからずっとしんどくて、正直オーナとオーガストの二人芝居のところは別れがちらついていて直視するのも辛かった。マジで報われてくれ…と思ったが難しいんだろうな~。あの後は自殺するか男に尋問されて殺されるかが関の山なんじゃないかと思わされる描き方だったし。男として女たちに歩み寄りたいが自分にできることがないと正直に吐露できて、涙を流して、つわりに苦しむオーナの背中をさすってあげられる、でも男だから、男たちの暴力を償う一種の生贄のような役割を果たすことになってしまうオーガスト、本当にしんどかった(オーガストがあのコミュニティに残るのは未来への希望として描かれていたし、そうやって男の中から男の暴力性を再考・変化させるみたいなこものを選択肢として用意するのは良かったがどう考えてもあの状況ではオーガストが確かな変化を起こすのは難しいように思われた、なので生贄)。

登場人物たちがほとんど言葉をもたない、がゆえに身体の動きや歌、声、表情が重要になるという文脈がのっていたので、映像化がかなり効果的だったのではと感じた。文字の方が伝わることもあるが、今回は完全に視覚に訴えられることでより伝わる、より動かされるような物語だったと思う。

シンプルに暴力描写のフラッシュバックが毎回しんどかったのであまり友人たちにどうぞと勧められるものではないが(グレタの入れ歯の理由が恐らくだが強姦中に殴られたことだったのが一番キツかった)、間違いなく見て良かった映画だった。今年のベスト映画を選んでくれと言われたら今の所3位以内には入る。

 

 


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映画でも本でもライブでも、経験した側から忘れていくような性質なので、見たことや感じたことを詳細に書き連ねているブログや批評をみるとかなり驚くし憧れる。この場は別に詳細な記録のために作ったわけではないので、メモをもとに思い出せることを適当に書いているだけだが、他の人は何度も見に行くとかして記憶の強度をあげているのだろうか?


なんにせよ、こういう文化的なものに蓄積を求めてしまいがちだが、自分の性質的にそういうものをあまり深追いしない方がいい、とは最近、配信ではなく映画館で映画を見る機会が増えて思った。たくさん映画を見ている人がある映画をみて、古典映画のオマージュに気付くようなのは多分自分には無理だ。憧れるが。