巨大な水

通り過ぎるものすべて

『違国日記』について

 

『違国日記』が完結してしまった……を受け入れられずに1か月くらい寝かせていたけど全巻一気に読み切ったので、断片的な感想を備忘録代わりに。ほんと何の物語の説明もない自分の感想でしかないが。

 

本当に終わってしまったことが今でもさびしくて悲しくなるけど、空虚な気持ちになった時、なんか眠れない日、自分の事を考えないといけない時、手に取り続ける大事な大事な作品だなと改めて思ったな~~ヤマシタ先生、ありがとうございます……。

 


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「あなたは 15歳の子供は こんな醜悪な場にふさわしくない 少なくともわたしはそれを知っている もっと美しいものを受けるに値する」
あ~~~~ほんとに、初めて読んだときこれにめちゃくちゃな衝撃を受けて、この作品を私は一生読んでいくんだと思ったんだよな……言ってほしかったとか、これを言うべき相手がいたとかそういうことだけじゃなくて、何というかこの作品の世の中に対するスタンスの厳しさと潔さ、それに掴みとして完璧な衝撃さ、いつまでも最高の場面の一つとして心の中に残るシーン


槙生ちゃんはずっと朝を「愛せない」よってことを言ってたんだな~読み返さないと自分はスルーしてしまっていた要素だ 
違国日記は恐らく、読む人の背景・状況によって本当に光り方と残り方が違う作品で、実際2年前の自分の感想とはかなり異なる読み方が可能になってると感じた
槙生ちゃんと醍醐たちの関係性で普通に涙が出るのは今の年齢になったからですよね、大人になれるなんて思ってなかったけど大人になれてしまうってことをこんな風に


違国日記は現実よりはすこしだけ優しい世界だと思って読んでいたけど、今読み返すと、描かれているものが自分の直視したくない部分を抉り出すことがあって、CINRAのインタビューで言ってたのってこういうことだったんですねを実感する、人に頼れない自分の醜さを直視させられる槙生ちゃんは自分そのものではないんだけど、でもこれは自分の物語だと思える近しさがある


朝のまっすぐで鈍くて素直で頑固で、とにかく真っすぐにしか表現できないところ、若さとも混ざってる、そういうところが犬だし傷つけるものでもあるし、自分と少しだけ距離ができる理由でもある
せっかくなら苦しんで生きたいよな!!そうですよね!!苦しみもない人生は無価値だよな、とかそういうさらっとお出しされる価値観への共感がある


「あんたに謝ってもらうことじゃないけど もう全世界から謝ってほしい この世はクソ」
「……べつに東郷氏がいい人だったからってあたしらの世界救われなくない?」
はあ~~そうだね……でも東郷は小さな一歩を踏み出すのが自分にとってはフィクションなんだけど、そこにある言葉は全く甘くないし日々こういうことを考えて生きていた時期があったな~になる、なんで私たちは戦わないといけないんだろうな


朝が自分の言葉を持って喋っていて、いやずっとそうだったのかもしれないけど、でも、いやあ……
愛してるって言葉だけじゃ足りないか~~朝が望む形ではついぞ与えられなかった愛とかいうもの、やっぱり違国日記は徹底的に他者を理解することの傲慢を拒むけど、ただの親子とは違う在り方の追求が、最後に姉からその子どもへ向けられた日記と対になる詩になるっていうのはすとんと腑に落ちた
槙生ちゃんが姉抜きでは朝との関係を構築できなかったのも、めちゃくちゃ真摯な物語だったし
最終巻はもっと何回も読まないと見えないものがありそうで、というか今は感じたくないものに蓋をしてるのかもしれない、でも今は一回読むのが限界だから、また少し時間を置いてゆっくり読もうと思う

 


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ヤマシタトモコ特集のユリイカは手元にあるがまだ読めておらず、これを読んだらまた感想が変わるかもしれないし、読み直せばきっと大幅に見えるものが違ってくるだろうし、この記事ごと更新するかどうかは分からないけど、今書き残すとしたらこういうことなんだろうということを書いた(書きたいことがそのまま書けることは多分ずっとない)。

 

この作品を勧められるような人間関係、築かないとな……自分のために……が結局今の結論なのかもしれない。