巨大な水

通り過ぎるものすべて

『さらば、わが愛/覇王別姫』(1993)について

大画面で美しいものを浴びたい!というモチベーションで行き、見事に満たされた。スクリーンで観ることに価値がめちゃくちゃ生じる映画だった……。ネタバレを含みます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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〇画面
とにかく目に焼き付けておきたい美しい画面が多かった印象。燃える炎越しの菊仙と小楼、そっから炎越しの京劇の象徴としての蝶衣と小楼とか、牢獄に見舞いに来るときピンクと赤の花束が灰色の床に置かれるところとか……。忘れたくないしこれに触れられるなら甲斐があったなぁと思うレベルの美しさに浸らされた感じで、久しぶりにスクリーンに映画を観に行けたことにきちんと満足感を得られて良かったです。非現実的なものというか、そう、現にはありえない美しさとぼやけた画面、断片的な記憶のつなぎ目でストーリー全部相まって夢みたいな経験だったなと思い返してる。

 


〇ストーリー
大筋としては悲劇と幸せのバランスが分かりやすかったし、ちょっと複雑な人間関係としても、尊厳と葛藤の話としても普通に面白かった。

入り込んでたところから引き戻されるくらい唐突に話が吹き飛ぶ所があったな~と正直感じたけど、話の整合性とかではなく、全ての画面が美しくて音楽が完璧で、今映画を見終わったぞ……という充足感がめちゃくちゃあったのでそれで良い映画だったのかな~と思った(背景知識が無かったからなのか?とも思ったけどやっぱ小四が現代劇もやるべきだろ!!みたいな話をした後に京劇で蝶衣に反旗を翻すところはマジで繋がりが分からなかった)。

そして記号的ではあったよな~とも、それぞれキャラとしての魅力はもうめちゃくちゃあったんだけど、厳しすぎる父親としての老師匠や男に使い捨てられたことを悲観して死ぬ女としての菊仙とか……。菊仙は単なるファム・ファタールって訳じゃなくてちゃんと泥臭く生きてて、でも小楼への愛から逃れることもできなくてっていう複雑さを持ってたからめちゃくちゃ生き残ることに期待してたのに、でもやっぱりあなたは殉じる者として殺されるのか……でがっかりした所はあったな~。

 


〇程蝶衣
いや、凄かった~~こんなことある?こんなに言葉が届かない美しさなことあるんだ……と必死に頭を回しながら、少年期から大人になってからまで全ての程蝶衣をどう形容すればいいかひたすら考えていた気がする。でも同時に呆けてもいて、いや本当に凄いんですよこの映画の程蝶衣というキャラクターは……。
少年から青年ごろの坊主頭、重たい二重で、微笑んだ顔が儚さそのものなの、八尾比丘尼の男版みたいな傾国さ、霞と夢を食って人の形を保ってる怪異みたいな違和感、とにかく夢だったな~。

袁先生とお互いにメイクをして、千鳥足で芝居してからしなだれかかる所とか物凄かったな~あんなに夢の擬人化みたいな人間が画面の向こうにいることが信じられないと思いながら観ていた。あと阿片で正気を失うことでなんとか役者として生き延びていた頃と、それを映すときに金魚の絵の描かれた薄膜と金魚の水槽を交互に映すところの、あまりにも、あまりにも現実離れした妖艶さとかも。書いてると割りと思い出せることが多くて、観たのはちょっと前だけど記憶にしっかり刻まれてることが嬉しいな……。

レスリー・チャンになってからの程蝶衣は、とにかくそう、息を呑む美しさで、ぼーっとしてなんも考えられなくなるような美って、強烈な美じゃなくて湿気を持ってて、こっちをカラッと仰天させる陶器のお人形じゃなくて人の肉で作られた人形が微笑んだときみたいな不気味さを持ってた。手の届かなさと恐ろしさは同居するんだけど、程蝶衣は距離が遠くて訳が分からないから怖いんじゃなくて、底がしれないから怖いって言う感じで~本当にめちゃくちゃ文字数を割いたな……。とにかく自分にはぶっ刺さったというだけの話ではあるんだけど。
 

文化大革命周りの台詞やストーリー進行がピンとこなくて自分の無知さをかなり強く反省もした。知らないことが多いし、それはただ知らないことと知ろうとしていないことと、どっちもあったんだけど知らなきゃいけないことだらけではあるんだよな~~。とにかく良い映画体験でした。